切込隊長がいつにもまして長文化したエントリを綴っている。Winnyについて。事件発生後、思想と政治のレイヤーでの議論に数日で移行してしまい、そもそも何だったのかという基本的な議論があまり為されていないので、ひとつ突っ込んだ議論として眺めてみたい。
念のため、P2PやWinnyを無条件に擁護する立場は取っていない、今のままだと著作権的に突っ込まれるのは避けられない動きだろうと見ている。
まず、コンテンツ流通でWinnyが起こしていたこととして二点。
高速ADSLやFTTHの主要な利用要件は、驚くこと無かれP2Pによるファイル交換である。当たり前か(笑)。どこかの私のエントリーでコメントした人がいたとおり、Winny&MXは事実上のブロードバンド時代におけるキラーアプリとして君臨しているのだ。
P2P技術の普及、浸透により、無用なトラフィックが増え、バックボーンはわずか7%のWinnyユーザーによって83%もの帯域が利用されている。
ISPが悲鳴を上げるくらいコンテンツ流通を促している。また
学術経験者ならば、アーカイブが揃う前の時代は論文探しで苦労した人も多いだろう。筑摩書房やミネルヴァ書房などで刊行された一冊何万もする目当ての学術書が図書館になかったり、一昔前ならフォーリン・アフェアーズのバックナンバーを紀伊国屋に問い合わせるだけで二週間も待つことになる。それもこれも、需要が少なすぎて財やサービスが行き届かない端的な例だ。
実のところ、商業主義(コマーシャリズム)はこの手の細分化された価値体系に対する解を持たない。いわゆる資本主義の誤謬と言われるものだ。大多数の人が金を払わず、関心を持たない、時宜を逸した、役に立たないものは商売として成り立たない。商業主義は需要と供給で価格が決まると言いながら、極端に需要が少ないビジネスは本質的に不利な構造が確立していると言える。
ということで、P2Pのファイルシェアリングは個人がアクセス出来るコンテンツの量を飛躍的に伸ばすことに成功している(合法違法という議論はとりあえず触れない)。
というところで見えてくる可能性は、
ところが、その再販制度が目指していた理想が、Winnyであっさり実現しちゃっている現状を誰も指摘しないのが不思議だ。しかもタダで。この不便でしょうがないインターネット社会で、金を払えばすぐにでも何でも見られそうな雰囲気を醸し出す数多のブロバンコンテンツサイトでは一切提供されなかったものが、Winnyによって、無料で、きちんとした体裁で、ほぼ欠落無く閲覧可能な状態で流通している現実をコンテンツ業者はあまり正視しない。
コンテンツ流通の新versionである。コンテンツ業界とどこでどう折り合いをつければ良いのかは現時点でははっきりとは出ていないが、
・商業作品:既存の流通ルート
・それ以外:P2Pのシェアリング
という棲み分けが何らか模索されてもいいのではないか。
ストレージ価格が下がってるとは言え、過去のアーカイブがメジャーレーベルからダウンロードして視聴可能になるとは早々考えられない(iTuneの伸びを見ているとある程度は期待する気にはなるが、隊長の論の射程に届くとは思えない)。大量のサーバーを揃え、ネットワークを補強しというのはシステム的にも採用される選択とは思えない。DRM技術の成熟を待つ必要はあるだろうが(また、コモンズの概念の普及を待つ必要もあるかもしれないが)、P2Pの仕組みで負荷分散させたコンテンツ流通の仕組みの方が現実味を感じられる。食品のオマケで過去の名曲が手に入るのであれば、ごくごく軽い対価で成立する余地はあるのではないか。ISPは再び悲鳴を上げるのかもしれないが。
復活したナップスターは昔のユーザーからすると大人しくなって面白くないというコメントを何度も見た。しかし、「こうして世の中は少しづつ、つまんなくなっていく」のかもしれないが、アンダーでない領域で堂々とやり取り出来る方が健康的であることもまた否めない。eBayやAmazon、そしてGREEが示しているように、コミュニケーションとコンテンツが揃うとユーザーとしては面白い。話題のドラマや音楽をトリガーにして学校の休み時間を過ごした経験は誰にでもあることだろう。何が面白いか語り合い、お勧めを交換しあってわいわい過ごすというのが、情報化社会の呼び名に相応しい形で進化して日々の生活に心地よく紛れ込んでくれてもいいのではないかと、ふと思った次第である。
規格や再販制度、著作権制度について触れだすとキリが無いので本エントリでは割愛。
追記:
そういえば、こちらを普通のエントリで更新するのは実に久しぶり。