「情報経済は崩壊するのか?」
チェックする量がじわじわ増えている海外のBlogからひとつ。Ross Mayfield's Weblogの「Collapse of Information Markets?」。ちなみに、書き手のRoss Mayfieldはこんな人です。
話の発端はコロンビア大の教授Eli Noamのまとめたinformation sector will collapseより。例えばここで取り上げられたりしてちょっとした議論を呼んでいる。気になるトピックなのでmemo的に。引用箇所が適切なので、そのまま載る形で。
The basic structural reason for this problem is that information products are characterised by high fixed costs and low marginal costs. They are expensive to produce but cheap to reproduce and distribute, and therefore exhibit strong economies of scale with incentives to an over-supply. Second, more information products are continuously being offered to users. And information products and services are becoming more "commodified", open, and competitive.情報財の基本的な指摘。①最初の一つを生産するまでの固定費(開発費用)が高い、②追加生産と流通コストは非常に低いので(余談になるが、流通コストが低いという指定はインターネット以降に加わったものと考えられる。以前の資料ではこうもさらっと指摘されることは無かったように思う)、規模の経済が働きやすい。
2000年頃だとこのあと、収穫逓増やデファクトという話に向かっていただろう。が、本論文は、③(マーケット全体が)供給過剰になり易い、④需給のバランスが著しく崩れると(もちろん、需要が足りない)、競争が激しくなりコモデティ化が発生するとしている。更に同じ力が掛かり続けると
The main result of these factors is that prices for content, network distribution and equipment are collapsing across a broad front. It seems to have become difficult to charge anything for information products and services...情報財(この文脈では、いわゆる「コンテンツ」に強く意識が向けられているように感じる)には値段が付けられなくなってしまう。
このような動きになるのは例えば国領モデルでも触れられているが、ユーザー側の認知と時間の限界があるためで、
Jeff rightly points out that demand for information is elastic (although there are the constraints of attention)同じくコメントとして触れられている。
プライシングのポイントはモノ的な部分に限らないので、絵に描いたようにこのモデルのようになるかには疑問が残るものの、ソフトウェアの世界でのコモデティ化は日々感じているので読み流せなかった。行過ぎた懸念という空気も感じられるものの大筋の方向性としては同じ感触を持っている。最近特に辛そうに見えるのが国内のメディア産業各社。テレビから新聞から方向性を定めきれずにいるように見える。
結果、産業として何が起こるのか。
The industry is shifting from economies of scale and speed to that of span and scope. To describe this in industry parlance, margins come from versioning and bundling (scope) and aggregation (span).マージンの源が変化する。具体的にどの程度の意味合いを込めて表現しているかははっきりとしないが、指摘されているのはversioning、bundling、aggregation。また、傾向としては
But all products and industries trend towards commoditization, embrace it.逃れられないから適応するしかない変化だと説く。
もう一つ今ひとつ掴みきれていない指摘が
Somewhere in the span, the line between producer and consumer is being blurred. New combinations of goods are further decommoditized through the very act of consumers participating in production.この部分。生産者と消費者の境目が無くなっていくという議論はそれこそバブル以前からされており、論自体はさほど目新しいものではない。しかし、「コモデティ化に対抗するには?」という文脈で出て来ているのは気になる。財やプロセスとしてどのようなものをイメージして書かれているのか。
一旦問いを立てるまでになりますが、簡単に済むはずの無い問題なのでここにて。
追記:
対抗策として出ている「シンジケーション」には(いや、以下の事例だとbundling、aggregationと分類すべきでしょうか)幾つか事例が考えられますが、最近のいい事例としてはYahoo(特に米国)ではないかなと考えています。CEOがSamelに変わってから、手数料収入の増加を経営課題として事業転換を図って来ていましたが、個別単体では売り物にならないツールを上手く上手くサービス全体に組み合わせていくことで小銭を積み重ねる体制が出来つつあります。日本のYahooも同様の改革の途上にあり、広告収入減=ダウンサイドリスクという以前の状態から転じて、広告収入増=アップサイドリスクとでも言える状態に向かいつつあります。あと、月並みかつ古典的ですがiモードも良いヒントです。
※YahooについてはDue Diligenceでも取り上げられています。
再追記:
ログの三割弱がCNET経由になっています。うーん、大手メディア恐るべし&ご紹介ありがとうございます。
















Comments
リンクを辿って(確かFPN経由だと思います・・・)やってまいりました。
拝読して思い当たりましたことがあったのでコメントをさせてください。。。
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Somewhere in the span, the line between producer and consumer is being blurred. New combinations of goods are further decommoditized through the very act of consumers participating in production.
この部分。生産者と消費者の境目が無くなっていくという議論はそれこそバブル以前からされており、論自体はさほど目新しいものではない。しかし、「コモデティ化に対抗するには?」という文脈で出て来ているのは気になる。財やプロセスとしてどのようなものをイメージして書かれているのか。
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基本は「(消費者に)個別にカスタマイズされたもの」に落ち着く、ということかと理解しました。
でも、そこまで個別消費者は(いかなる情報財に対して)カスタマイズを望むでしょうか・・・というところが疑問ではあります。
「共有感」と「差異化」のあいだのどこに、落としどころがあるのか。
原文の著者も、そこが見えていないからこそ、やや曖昧とも思える締めに走ってしまったのではないでしょうか。
私自身も、情報財における、「共有感」と「個別カスタマイズ」の間には(少なくとも当分の間)”安定解”はないだろう、とみています。その揺れ動きの中で、サヤを取りに行くビジネスが出てきつづけるだろう・・・という見方です。
個人的には、「広告化せよ、そして広告にあらがえ」という、北田暁大氏の著書のフレーズを想起してしまいました。。。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/433185017X.html
以上、雑駁ですが、もし少しでも、お感じいただけるキッカケ等になる部分がありましたならば幸いです。。。
Posted by: Chuck | 2004.03.12 at 11:38 AM
Chuckさん
お返事遅くなってしまいました。
> 「共有感」と「差異化」のあいだのどこに、落としどころがあるのか。
消費社会論の肝に触りそうな議論ですが、これはどちらかに落ちることは無いだろうというのが同じく結論です。政治集団の形成もそうなのですが、ある程度の規模になると更に小さい差異を発見して下位分化を起こしたりする現象は普通にあるかと思います。
> その揺れ動きの中で、サヤを取りに行くビジネスが出てきつづけるだろう・・・という見方です。
この発想凄く面白いです。
歪みと裁定が常にどこかで起きる金融市場のモデルを思い浮かべました。確かに、情報の流通が高まって捕捉もしやすくなると、金融商品でなくとも歪みを見つけて鞘を取るというビジネスが基本発想として成立するのかもしれません。
しかも、eBayの使われ方を見ていると、あながちフィクションとは言えない気がします。
> 個人的には、「広告化せよ、そして広告にあらがえ」という、北田暁大氏の著書のフレーズを想起してしまいました。。。
初期の広告が伝達を目的としていたものから、最近はコミュニケーションが重視されるようになり、一部では参加型の劇場という考え方も出てきているところから、与える/与えられるという構図は退化の一途なのかもしれません。
この辺のエントリで同じ問題意識を追ってますのでよろしければ参照下さい。
http://sw.cocolog-nifty.com/swmemo/2004/03/post_7.html
また、面白い話を頂ければと思います。
Posted by: SW | 2004.03.17 at 10:17 PM